【レビュー】さよならインターネット – まもなく消えるその「輪郭」について

毎日が日曜日のぷろんと(@pront_nem)です。
ここ最近著書をネット上で無料で全文公開するのが流行っているみたいですね。

先日家入一真さん(@hbkr)の「さよならインターネット」が全文公開されていたので、早速読んでみました。
家入さんも私と同様に不登校で引きこもりがちだった学生時代だったということもあり、共感できるポイントが多かったのが印象に残る著書でした。

ぼくは確かにインターネットに救われた

そもそも不登校になり、いわゆる引きこもりになったぼくの人生は、「インターネットに救われた」と言っても過言ではありません。
そして、実はぼく以外にも、かなり多くの人が「インターネットに救われた」と考えているのではないでしょうか。
第一章 やさしかったその世界─ユーザーからプラットフォーマーになるまで より引用

これはすごくよく分かりますね。
私も学生時代は不登校で趣味が自作パソコンだったこともあり、ネットゲームにのめり込んでおり親からは呆れられていました。
ホリエモンの学生時代と同様にパソコンの電源を隠されたりなんてこともありましたね。
不登校で友達もほとんどいなかった私にとって唯一と言ってもいい居場所はインターネットにあったのです。
掲示板を作って趣味の合う人とお話したり、仲良くなってからはオフ会をしたりすることもありました。
そもそもオタクで現実世界で趣味の合う人がいなかった私にとって、インターネットは世界中の人と繋がれる魔法のような道具だったのです。

ギークのためのインターネットの終わり

同じく04年は、外資系企業などによる敵対的買収がテレビのワイドショーで報道されるなど、ビジネスの話題がお茶の間を騒がせた年でもありました。
中略
今IT企業と聞くと、オシャレなオフィスで、イケてる若い社員たちが卓球でもしながら、キラキラと働くイメージがありますよね。明るくて元気な美人やイケメンが多い印象をお持ちの方もいるはず。
しかしこの頃くらいまでのIT企業では、むしろ根暗な人が過半数だったのではないでしょうか。

かつてのIT企業とは、一般企業の社風とは合わないような、これも言葉は悪いけれども、一般的なレールに乗ることができないアウトローのような、でも何かしらの才能にあふれた人たちが集ってのびのび働く、彼らにとって、ある意味で救いのような場所だったようにも思うのです。

確かにかつてのインターネットはオタクで根暗な人が中心となって作られていたと思います。
しかし今はどうでしょうか?
スマートフォンが爆発的に普及してから現実とインターネットの境界線がどんどん溶けてきたのではないのでしょうか?
その典型的な例がInstagramやFacebookです。
そこでは現実で起きたことを写真に撮り、それをネットに上げていいねをもらって承認欲求を満たすというものです。
スマホが普及したことで良くも悪くもキャズムを超え、リア充の人が大量に流入してきたのです。
元からいた根暗な人は居心地は悪くなってきていると感じているのではないでしょうか?

警備員だらけの相互監視社会

オンラインサロンの流行から見える、「不特定多数から特定少数へ」という流れは、やや残念ですがSNS全体の、そしてそこで取り扱われる個々のアカウントにおいて、とても自然なことだと思います。
というのも、もはやあらゆるものと結びついてしまったSNSやそこでのアカウントを、
誰もが閲覧できる状況にしておくということは、たとえるなら自宅の玄関を開けっ放しにしているようなものだから。
玄関を開けていれば、通りすがりの人はもちろん、ときには来てほしくないような人まで土足で入ることができます。
ただし家主であるあなたは動くことができず、訪問者は難癖をつけ放題、というのが今の状況なのかもしれません。
第四章 インターネットは「社会」 の何を変えたか より引用

これはTwitterなどのSNSをやっている人であれば誰でも共感できる話ですね。
少しでもツイートがバズるとそれに文句を言ってくる人がいて気疲れしてしまうことがよくありますね。
そういったこともあり、オンラインサロンなどのクローズドなコミュニティが流行り始めてるのではないでしょうか?
オンラインサロンであれば有料なので質の悪い人はまず入ってこないですし、いちいち文句を言うような人はまずお金を払ったりはしないので、結果的に居心地の良いコミュニティが誕生するのではないでしょうか?

世界を強制的に変えてみよう

ときには思いきって、目前の世界を強制的に変えてしまうこともいい方法でしょう。
インターネットを覗くと、たくさんのコラムや記事を目にするようになりましたが、ぼくは、ここでただ読むだけではなく、書く立場に立ってみることを皆さんにおすすめします。
いつもの町並み、会社、買い物の合間に立ち寄る喫茶店。普段ぼんやりと眺めている景色も、
そのあとに「書く」という過程が控えていることを念頭に置いていれば、まったく違うもののように見えるはず。これこそぼくが考えた、目前の世界を、強制的に変えてしまう方法です。

私もブログを書き始めてから気づいたのですが、記事を書き始めると日常の些細な出来事に敏感になり、記事のネタがすぐに思いつくようになりました。
電車に乗るとスマホのゲームに夢中になっている人がいますが、本当に人生損してるなって思います。
窓から外の景色を見れば日によって見える景色が違って、ちょっとした変化に気づくこともできますし、周囲の人を見ればどんな表情をして電車に乗っているかも見ることができます。
そういった意味で「コンテンツを消費し続ける人」と、「コンテンツを作る人」の間で価値観がかなり違うことになるんですよね。
正直私は誰かの作ったコンテンツを消費し続けるだけの人間にはなりたくないと思っています。
それはいわば奴隷のような存在で、誰かの作った価値観に沿って生きていくことになるからです。

終わりに

既に現代はインターネットを使いこなす人とインターネットに使われる人に二分化されているかと思います。
使われる側になるのは何も考えなくて済みますし楽といえば楽なのかもしれませんが、思考停止状態に陥っていて私は危険だと思います。
今はネットを使えば誰でも気軽に世界中に自分の意見を発信することができます。
なので私は少しでも多くの人にコンテンツを作る人になってほしいですし、自己表現の場としてインターネットを使いこなしてほしいと思っています。
ではでは。 

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